【自己紹介・前半】美容師になったきっかけ~スタイリストデビューまでの道のり
ご覧いただきありがとうございます!
”美容室のない村へバイクで訪問してカットをする” プロジェクト縁技(えんぎ)準備中の菅井悠人(すがいゆうと)です。
美容師の立ち位置からおもしろい角度で楽しく世の中に役に立つことをやっていこうと、縁技というプロジェクトを企画しているわけですが、
「そもそも菅井悠人ってだれ?」
と思われる方がほとんどだと思いますので、このページでは僕の過去ストーリーをお伝えしていきますね!
↑地元山形の風景(家の目の前)
もともと人見知り、美容師という目標が菅井を変えた
山形県山形市で生まれ育った僕は、今でこそそれなりに人とうまく会話できるようになってきましたが、僕は子供のころ人見知りでした。
男兄弟ということもあってか、特に女性と話すとなるとアガってしまってメールじゃないとまともに会話できないといったレベル。
そんな人見知りの僕が今美容師になっているわけなんですが、僕が美容師に興味を持ったのが高校一年生の時。
高校生になったし床屋から卒業したいと思っていたところに、中高一緒だった親友のお父さんがなんと山形市で美容室を5店舗ほど経営するオーナーだということを知り、
「美容室行きたいならうちのお父さんのとこ来なよ」
って言われたことが美容室に行くきっかけとなりました。
とにかく初めての美容室の経験はあっという間で、今でもはっきり覚えているのは、美容室の帰り道、家までのゆるやかな登り道を自転車を立ちこぎで帰ったこと。
美容室のキラキラした空間
ステキなスタイリストさん
仕上がって鏡を見た時のかっこよくなった自分
夢のような時間にとても感動した僕は、
「目の前で人を感動させることができる美容師ってかっこいい」
そう思って美容師という仕事に興味を抱いたのが、美容師になろうと思ったきっかけでした。
美容師になりたいという目標ができたことで、人見知りは美容師になるために必然と乗り越えなければならないものとなり、その時から人と積極的に会話するように行動したことが、結果的に人見知りを克服するきっかけにもなったのです。
専門学校の成績は思わぬことに
高校のクラスの中で専門学校に行くのは僕だけというくらいの進学科だったのですが、美容師になりたいという希望に対して両親から不思議と強い反対は受けず、スムーズに美容専門学校に通うことになりました。
小中高と突出した成績をとることもなく中の中くらいにいた僕ですが、好きなことを勉強できるというモチベーションが高かったのか、学年でトップの成績をとれるようになっていました。
最終的に卒業式では生徒総代表で卒業証書を受け取れるまでになっていました。
その時の僕はトップとってやるぜーーーー!
っていうよりも
目の前のやりたいことをコツコツやってたらいつの間にか結果が出てた感じでした。
成績は良かったのですが、まだ人見知りしている自覚があったので人と仲良くなるということについてとにかく意識した学校生活になりました。
専門学校時代の仲良しグループは、離れていても今でもLINEグループでつながっていて、出産や結婚の際にお祝いをしたりするような場所になっています。
↑専門学校のなかよし同級生たち
念願の原宿の美容室へ就職、死に物狂いでスタイリストへ
そうして専門学校を卒業し、念願の原宿の美容室に就職して、アシスタントという美容師の卵としてスタートをしました。
知ってのとおり美容師は技術職なので最初からお客さんを担当できるわけではなく、一つ一つの技術に練習とチェックがあります。そのすべてのチェックに合格するとスタイリストという自分のお客さんを担当できるようになります。
僕は「感動を与えられる美容師になりたい」と思っていたので、とにかくスタイリストになりたい一心で毎日仕事に取り組んでました。
どんなライフスタイルだったのかというと、朝8時にお店に行って朝練&開店準備をして、営業が終わったら後片付け&練習して日付が変わってから自転車で家に帰るという毎日。
休みの日は午前中に練習や撮影やミーティング、午後はモデルハントで原宿・渋谷を徘徊して0時近くに帰宅。
365日の間、リアルに350日は美容師として活動していましたね。。。
周りからはドン引きされるような生活でしたが、僕にとっては毎日の成長がやりがいとなってとても充実していました。
↑コンテストで賞を審査員賞を取った時
そうして25歳の手前で念願のスタイリストとしてデビューすることになったのですが、、、
【自己紹介・後半】美容師からサラリーマンへ~抜け殻時代~美容師へ復帰
へ続きます。
ぜひごらんくださいね^^