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【親孝行】縁技にのせる亡き父への後悔

【親孝行】縁技にのせる亡き父への後悔

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父は、僕が22歳の時にガンで他界している。

山形から東京に上京して3年目で、美容師アシスタントとして原宿で奮闘していた時。

今こうして美容師としてハサミを握れているのは、僕を育て、行きたい道を支援してくれた両親の支えがあったからこそ。

そう思うと、今回企画している縁技(えんぎ)は美容師としてだけでなく、息子として親への一つの感謝の祈りになるのかなぁと思ってたりする。

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自営業だった父は、僕が学校から帰るといつもリビングのソファーでテレビを見ていた。

タバコの煙でリフォームした壁も黄色くなり、夕方にはでっかいボトルの焼酎をロックで飲んでいた。

父はもともと無口なところもあり、会話をしようとする母と喋らない父とですれ違いの毎日で、いつも母がヤキモキしていた。

母が血液型がAとBだから相性が合わないなどと謎の理屈でいつも自分を納得させようとしてたなぁ。

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21歳のころ、当時一緒に住んでいた兄から

「父に末期の食道ガンが見つかった」

と聞かされる。

ショックもあったけど、体調が悪くても病院へ行かず、健康のケの字もないような生活だったので「ついにきたか」という印象もあった。

とはいえ僕も兄も東京に上京して仕事も駆け出し状態。

美容師のアシスタント時代は、帰る交通費が捻出できないほど低賃金な上に、休みの日も会議、練習、モデルハントで365日中350日くらい仕事してたのでなかなか帰る気にならなかった。

今となっては、命とお金どっちが大事なのかなんてあきらかなんだけど、当時の僕はそんなこともわからないくらい美容師に必死だったんだと思う。

なかなか山形に帰ることもできなかったので、母からの電話が唯一の便りだった。

電話中に母が父に電話を代わっても、無口で会話が続かないのでなかなか話すことはなかった。

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冬休みに夜行バスで帰って父と会った時に、洒落と言わんばかりに抗がん剤治療で毛がすっかり抜けた頭を見せてきた。

元気に振舞おうとしている父にどんなリアクションをすればいいのかわからなかった。

結局その時もロクな話もせず帰ったんだけど、その帰省の日が、まともに立って話せる父親をみた最後になった。

次に帰省したのは5月。

母から「もうダメかもしれない」と連絡を受けてのことだった。

帰った時に見た父は、すでに自分で起き上がることもできず、意識も朦朧としていて話すこともできない状態になっていた。

僕は泣きながら手を握ることしかできず、何を声をかければいいのかわからない。

がんばれ?
大丈夫?
きっと治る?
いままでありがとう?

今振り返ってもああいう時ってなんて声をかければいいのかわからないし、たぶん正解なんてない。

その帰省からまもなく他界したのは、病気発見からちょうど1年のこと。

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もう目を開くことのない父の顔をみて思ったのは、

なんでもっと親孝行できなかかったんだろう

ということと、せっかく美容師になったのに、

なんで一度も父の髪をカットをしてあげなかったんだろう。

ということ。

末期がんなんだから抗がん剤の治療で髪が抜けてしまうことは知っていたはずなのに。

まだ髪を切る自信がないから

まだスタイリストになっていないから

まだ満足させれるクオリティになっていないから

そんなやらない言い訳を一人で勝手に思っているうちに父は死んでしまった。

髪を切ろうと思えばいつでも切れたのに。

仕上がりなんてめちゃめちゃでも父は喜んでくれたはずなのに。

ロクな親孝行もしてあげられなかった。

いくら後悔したって遅い、遅いけど、後悔せずにはいられなかった。

さんざん泣いて後悔したけど、過去に戻ることはできない。

そんな後悔も忙しい毎日を必死にこなすことで紛らわして、いつかそこに向き合いたいと思ってはいたけど、なかなか向き合う気持ちにならなかった。

だから今こそ向き合おうと思う。

不思議と縁技(えんぎ)について考えていると、活動をしていくことが父へのメッセージになるんじゃないかと思っている。

今命があることへの感謝
育ててくれた父への感謝
美容師として元気に活躍している姿を父に届けること

そんなメッセージを天にとどけれたらいいなぁ。